比丘尼谷

 東春日井郡高蔵寺町白山(春日井市)の円福寺山内に,比丘尼の生まれた比丘尼谷というのがあり,又山腹にその祀堂が存する。往昔此の地が,浜辺であった頃,或る日この村の漁師が沖で一尾の奇魚を得て帰った。それは頭が人面で他は凡て魚形であった。漁夫達は互いに顔を見合わせて,食すべからずとして捨て去ろうとした。丁度其所へ一旅人が通りかかって,「世に庚申祭なるものがある。これを行えば,悪事災難を払い福徳幸を得ること必定だ」と説いて祭神の方法を教え,先の奇魚を供えて立ち去った。祭の終わる頃其の附近に,乳母に伴われて遊んでいた一人の小娘があった。口が賤しくて人の知らぬ間に彼の奇魚をそっと失敬して食べた。
 扨てその娘が成長するに従って,人一倍美しくなり十七,八歳になるといよいよ秀麗を極めて,村の青年達の熱い血潮を湧かせた。不思議なことには,この娘の容姿はいつまで経っても変わることなく,何時の間にか数百年は経た。その間に二世を契った夫もつぎつぎと逝き,山姿水容徒らに改まり,親族故旧の顔も見えなくなったのに,自分の姿のみが昔のままに若々としているので,娘は大いに恥じた。遂に浮世を厭って髪を剃って比丘尼となり,諸国遍歴の旅を重ねて終に若狭の国に辿りついた。その時は齢八百を数えていたが,それでも尚死なぬので,生きながら洞窟の中に入って姿を没したという。今尚円福寺山内の比丘尼の小祠は,長寿延命及び縁結びの霊神として遠近よりの賽客が絶えない。(『愛知県伝説集』 p.117)

解説

 主人公の女性は,人魚の肉を食べて八百歳まで生きたため,一般に八百比丘尼と呼ばれ,また肌が娘のように白いため白比丘尼とも呼ばれる。福井県小浜市の空印寺を中心に,植樹伝説や椿をもって諸国を巡歴した話が各地に分布する。若狭国から白比丘尼が上洛したという話は,既に『康富記』文安6年(1449)の記事に見える。右の伝説は,八百比丘尼の出生地を春日井市とするものであるが,愛知県にはこのほか一宮市の金光寺を出生地とする伝承 (『尾張名所図絵』)もある。また,知多市の大智院には八百比丘尼が滞在記念に植えた樟があり,その枝葉は難病,不老長寿の薬になるという(『愛知県伝説集』 p.216)。